半猫人の足跡

ご訪問ありがとうございます。山歩きや旅など,徒然なるままに・・・。

歌人 小林 泉翁 略年譜

 略 年 譜

明治15年 長野県小県郡上田市)西内村戸羽に生まれる

明治20年 西内小学校に入る

明治24年 尋常科卒業この頃から歌道に目覚める

明治30年 三河国学者村上忠淨(ただきよ)と文通を始める

明治33年 立教学院に入学

     海上胤平(うながみ たねひら)に入門する

明治36年 立教学院英文科を卒業

同年           渡米する

     約2年間太平洋沿岸各地を放浪する

明治39年 サンフランシスコに於いて大震災に遭遇する

明治41年 帰国する

明治44年 横浜税務署外事課嘱託となる

大正9年  横浜税務署を退職する

同年   シンガーミシン会社横浜中央店入社通訳兼地方特派員となる

     在職中は関東各府県 長野県 北陸各県 中部近畿各県 そして東北地方

     北海道等を行脚して、史跡を訪ね名勝を探り知名の士に会う

大正11年 横浜市馬車道支店長となる

同年9月   シンガーミシン会社退社

同    横浜市大和自動車商会入社 

大正12年 関東大震災に遭遇して浪人となる

大正13年 国民文庫刊行会出張員として関西に赴くが3ヶ月で辞める

同年9月  長野県南北佐久地域を行脚する

  11月 帝国興信所横浜支所員となる

大正15年8月 帝国興信所を退職

同年9月 博進社入社 東京府下 栃木県下を行脚する

昭和2年 教化事業を志す

昭和3年 長野県下を行脚 教化講演 執筆 出版活動に入る

昭和5年 この頃に東京から引き上げて故郷信濃に帰る

同年6月 殿城山(独鈷山)山中に於いて105日間の洞窟生活をする

     各地に於いて教化講演 執筆活動 歴史研究をする

     長野県内はもとより佐久地域、南信及び三河、伊勢、近畿、阪神方面、甲子     

     園を廻る行脚を毎年大東亜戦争勃発頃まで続ける

昭和21年11月 65歳で永眠する

 

主な著書 小評

 食人窟存稿(じきにんくつぞんこう)

 食人窟遺稿

 万葉集新講を読みて私見を述ぶ

 蓬盧歌選序

 蓼科山

 信濃史談

 内村の溪谷と内村七騎考

 科野のはて

 信参徜徉記

 他

 

書きかけです

独鈷山の山旅

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独鈷山(上田市)南側

 先日独鈷山宮沢口より登りました。

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ここを登ります

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ここまでの途中に霜が緩んでズルズルと滑る所が続きます。油断をせぬように慎重に登ります。

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尾根からは残雪を踏みしめながら山頂を目指します。

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北アルプス方面

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白馬方面

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浅間山

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山頂でありあわせの紐で滑り止めを作り下山しました。

この時期には軽アイゼンは必携です。

先の台風19号により危険個所があります。

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くれぐれも慎重に。

蓼科山の山旅

10月31日(木) 八ヶ岳連峰最北端に位置する蓼科山に行って来ました。

女神茶屋>>蓼科山山頂>>将軍平>>大河原峠>>天祥寺原>>竜原橋>>女神茶屋

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山頂より

御嶽山 乗鞍岳 北アルプス方面

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将軍平を下った所

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八ヶ岳連峰を見ながらひと息

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下山途中に女性の方から、蓼科山山頂への道を尋ねられましたが、これから山頂を目指すのは時間的に厳しいと思いましたが、凄い方もいるものですね。